里宮大鳥居
御嶽神社里宮の入口には、見事な鳥居が建てられている。 全国の信者等の寄附を募り昭和53年に建設された。 |  |
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 | 里宮遺跡
昭和52年の参道沿いにあった里宮遺跡の発掘調査にともない、発見された縄文時代の住居址一棟を復元。 県の重要文化財となっている。 現在は撤去されている。 |
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御嶽神社里宮
古くは岩戸権現と称し、創建は定かでないが現存する古文書から室町時代後期にはすでに人々の信仰を集めていたことがわかる。 明治15年御嶽神社と改称。 |
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 | ヒノキとサワラの森
里宮参道の両脇はヒノキとサワラの森である。 しばし長い年月を感じる。 以前に村の文化財指定された大杉は、惜しくも地震で倒壊してしまった。 階段を登りきると社殿があり、左側に見事なトチノキとカツラが構えている。 |
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 | また、村指定の樹齢305年の大杉が昭和59年の地震災害で倒壊、切り株を移転し奉安されている。 |
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弘法滝
地元では「かんまん滝」と呼ばれている。 長野県西部地震で大半が埋まり、当時の様相は一変している。 |
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 | 一心行者行場
普寛行者の1番弟子の一心が行を営んだ洞窟。 一心は関東方面で御嶽講の普及に努力され、今でも多くの講社が訪れる。 |
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御神水
里宮拝殿横の清水。 御涌水と呼ばれている。 見上げると幕岩が覆い被さっている。 この岩の中をつたわってきたのだろう。 |
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 | 普寛堂
| 開山普寛行者の遺徳をたたえるため、村人によって建てられた御堂で、普寛行者の御像が祀られている。 |
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二合目道標
| 昔はここが一合目、何時頃からか村の公民館付近が一合目となっている。 |
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 | 一心堂
| 普寛法統を継いだ一心霊神が祀られている。県道を挟んで合い向かいの現在原野には、行者の寝泊りができる簡易宿が2軒あった。 |
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二合目旧登山道
鳥居から数100メートルの旧街道は、今もなお当時の面影を残している。 多くの白衣の信者が現れるようなタイムスリップするところでもある。 |
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 | 二合目鳥居
東郷平八郎書による額が奉納されている。 明治37年に開戦した日露戦争。ロシアは当時、世界最強と謳われたバルチック艦隊を投入するべくウラジオストクへ補給に向かわせた。その情報をつかんだ日本軍はなんとか艦隊が補給をする前に叩こうと考えたがどのルートを通ってくるのかわからなかった。 その時、日本にいた御嶽教の先達、鴨下清八は神のお告げとして『艦隊は対馬海峡を通る』と断言し、軍部に進言した。それを聞いた坪内陸軍中将は御嶽教の理解者であり、これを東郷平八郎海軍大将に告げた。東郷平八郎はこれを信じ、対馬海峡で艦隊を待ち伏せしたところ、お告げ通り艦隊が侵入しこれを撃破することができた。その時のお礼として御嶽神社に奉納したのが自筆の書であり、神社では、大変貴重な品であるとして鳥居に飾ったとされています。
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